(社)国際沖縄剛柔流空手道連盟
真善美綜合空手道協会











国際沖縄剛柔流空手道連盟(IOGKF:INTERNATIONAL OKINAWA’N GOJU-RYU KARATE-DO FEDERATION)は、1979年7月最高師範である東恩納盛男先生を発起人として流祖・宮城長順先生により導かれた伝統ある沖縄剛柔流の教えを世界中に伝える事を旨として創設されました。
IOGKFは設立以来広く世界中に普及し、現在60ヶ国で約20数万人が東恩納盛男先生の指導に基づいて、稽古に励んでおります。毎年様々な国や地域で合宿訓練が実施され正しい沖縄剛柔流の技術と精神を伝えるべく活動していますが、(財)日本武道館日本武道協会にも日本の伝統的な武道を保存・振興する団体として認められており、今日もIOGKFは創立の趣旨に基づいて日本をはじめ、世界中に活動を展開しております。

(社) 国際沖縄剛柔流空手道連盟 IOGKF 最高師範

無形文化財保持者
東恩納 盛男

経歴

昭和13年(1938)12月25日
沖縄県那覇市牧志に生まれる
昭和27年(1952)
父より空手の基本動作の指導を受ける
昭和30年(1956)
剛柔流流祖、宮城長順先生の道場へ入門、宮里栄一・宮城安一両先生の指導を受ける
昭和32年(1957)
3ヵ年間、稽古に皆勤・努力したため表彰される
昭和36年(1961)5月
上京し東京都渋谷区にある代々木道場にて空手の指導を開始
昭和40年(1965)5月
日本大学文理学部空手道部の指導を開始
昭和41年(1966)4月
沖縄空手道連盟五段位に昇段
昭和42年(1967)1月
師範免状を授与される(宮里栄一先生)
昭和42年(1967)4月
日本大学文理学部空手道部の師範委嘱される
昭和43年(1968)5月
アメリカ合衆国スポーケン市にある、YMCAの支部より招待を受けYMCAを中心に3大学の指導を行いスポーケン市長より表彰状を受ける
昭和45年(1970)10月10日
第1回世界空手道選手権大会(WUKO)に於いて流派を代表して特別演武を披露し、感謝状を授与される(開催地、日本武道館)
昭和47年(1972)
第3回世界空手道選手権大会(WUKO)に於いて流派を代表して師範演武を披露し、感謝状を授与される(U.S.Aロングビーチコロシアム)
昭和50年(1975)5月
フランス国スポーツ省と法人のフランス空手道連盟の招待によりフランス国青少年の空手人並びに有段者を対象に各地を巡回し指導を行う
昭和52年(1977)
法人のフランス空手道連盟の招待により、フランス国全流派の有段者を対象に指導を行う
昭和54年(1979)7月
国際沖縄剛柔流空手道連盟を結成
昭和55年(1980)
メキシコ大統領が国賓として来日された時、赤坂(東京)の迎賓館に於いて流派を代表して特別演武を行う
昭和56年(1981)7月
那覇市市制60周年に伴い、第1回国際空手道親善選手権大会を開催(奥武山総合体育館)
昭和57年(1982)
那覇市自宅にて東恩納空手道場を開設
昭和58年(1983)
英国BBC放送制作「Way of The warrior」ドキュメントストーリーに出演し、世界各国に放送され人気を博する
昭和58年(1983)
東恩納寛量先生から宮城長順先生に伝えた歴史と剛柔流の歴史資料を福州市武術協会に提出し調査を依頼
昭和58年(1983)9月
アメリカ・サンディエゴ地区に住所をかまえ、IOGKF本部道場を開設
昭和59年(1984)5月29日
教士八段に昇段(沖縄空手古武道連盟・比嘉佑直先生)
昭和63年(1988)4月
中国福建省へ渡り福州市武術協会と武術交流を行う。福州市武術協会と福州市体育協会がルールーコウ老師とその住所を調査
昭和63年(1988)9月
福州市武術協会主催、国際沖縄剛柔流空手道連盟後援による「国際武道大会」を福建省体育館に於いて開催
平成元年(1989)10月
サンディエゴ国際空手道選手権大会を開催。宮城安一先生を招待
平成2年(1990)6月8日
ニューヨーク国連本部に於いて演武を行う
平成2年(1990)8月24日
世界ウチナンチュー大会の世界空手道・古武道交流祭に於いて師範演武を行う
平成3年(1991)10月18日
剛柔流空手技術セミナーと全米空手道選手権大会を、アーカンソー州で開催。当時のアーカンソー州知事のビル・クリントン(元米国大統領)よりアーカンソー州親善大使の使命を授与される
平成3年(1991)10月19日
アーカンソー州フォートスミス市レイ・ベーカー市長より全米空手道選手権大会の日を「Morio Higaonna Day」と定める。市長よりフォートスミス市民の鍵を授与される
平成4年(1992)2月
アメリカ・テキサス州知事よりテキサス州海軍大将(海軍指令長官)の称号のタイトルを授与される
平成4年(1992)6月2日
テキサス州エミー・リャーズ知事と、秘書ならびに副大統領補佐官ジョン・ハナーより、テキサス海軍大将(海軍将軍)の名誉将軍のタイトルを授与される。(テキサス空手道指導功績により)
平成7年(1995)
ロシア共和国クレムリンの警備隊に空手を指導。ロシア警察学校・ロシア秘密警察隊に、沖縄剛柔流空手が導入される
平成7年(1995)4月
IOGKF日本本部道場琉武館設立
平成11年(1999)
ドイツ国ハンブルグ市にてヨーロッパ合宿を開催。ハンブルグ市シャス・ヴァンシーリン市長より感謝状を授与される
平成12年(2000)
日本古武道協会会長・日本武道館会長の元文部大臣塩川正十郎氏より功労賞を授与される
平成13年(2001)3月31日
ヴェネズエラ国エノセンシオ・フィギアララ大統領より勲二等ビンセント・エミリオ・ソーホ勲章を授与される
平成16年(2004)7月
沖縄県立武道館(那覇)に於いて第4回世界武道祭を開催。(参加者海外36カ国より700名)
平成17年(2005)9月19日
ロシアクレムリン宮殿100名の警備隊に空手道を指導。プーチン元大統領より感謝状を授与される。指導の時着用した上衣の空手着と黒帯を警備隊長(将軍)の要望によりクレムリン宮殿の資料館に寄贈
平成19年(2007)2月10日
東京九段会館大ホールに於いて「研の会」主催「空手武道ライブ」を開催。金澤弘和先生・池田秀奉先生・東恩納盛男先生方各々の先生方の伝統空手を披露し好評を得る
平成19年(2007)6月22日
那覇市文化協会(城間会長)より沖縄手協会に貢献したことで表彰を受ける
平成19年(2007)8月28日
流祖宮城長順先生直弟子宮城安一先生より範士十段を授与。沖縄傳剛柔流武術保持者二代目宮城安一先生・流祖直弟子新垣修一先生、両先生より三代目剛柔流保持者及び継承者として允許される
平成19年(2007)11月10日
沖縄空手・古武道連盟(会長島勇夫)より範士十段を認定される
平成20年(2008)3月29日
フランス武道祭(パリ・ベルシィ40カ国の40以上の武道の祭典)にて中村哲二(国際事務局長)と共に演武を披露
平成20年(2008)7月
沖縄県立武道館に於いて「第5回世界武道祭」を開催。世界50カ国より約1000名の会員が空手の聖地沖縄に集まる
平成24年(2012)7月
沖縄県立武道館に於いて「第6回世界武道祭」を開催。世界40カ国より約700名の会員が空手の聖地沖縄に集まる
平成24年(2012)10月12日
モルドバのニコライ・チモフチ大統領より「名誉勲章」を授与される
平成24年(2012)11月3日
沖縄県より文化功労賞を授与される
平成25年(2013)5月7日
沖縄県指定無形文化財保持者に認定される

剛柔流 流祖

 宮城 長順 先生 東恩納 寛量 先生先賢 東恩納寛量先生の「那覇手」の技術を継いだ拳聖 宮城長順先生は明治21年(1888)4月25日、那覇市東1丁目11番地にて生を受ける。当時宮城家は、那覇では資産家として知られており当家三男、長祥の長男としての誕生であった。

11歳の頃、母の勧めで新垣隆功氏に預けられ、空手の指導を受ける。あまりの稽古熱心な姿に新垣氏は心を打たれ、長順先生が14歳になった頃、知人でもあった那覇手の大家、東恩納寛量先生に紹介した。それより寛量先生の門徒となり極めて厳しい指導を受ける。

長順先生の強靭な忍耐力と旺々なる研究心を以っての寝食忘れた修業の中、師の足跡を辿り中国の福建省福州に渡り拳法の大家を訪ねて自らも研鑚を終えて帰国した大正4年(1915)10月、病に伏した寛量先生を自宅に引き取って看病に当たり、最後まで見送られた。

寛量先生亡き後も、稽古修業は一層厳しさを増し、研究を極める為、武術に打ち込んだ。

大正15(1926)年3月、長順先生はじめ、首里手の花城長茂先生、本部朝勇先生、摩文仁賢和先生とで「唐手研究倶楽部」を発足、空手界の統一と普及を図る。

昭和2年(1927)12月、柔道の創始者である加納治五郎先生が、沖縄柔道有段者会の招待で沖縄を訪問された時、長順先生の演武をご覧になり
その高度な技法に驚きを示され、後に空手を研究されて国民体育体操を考案、創作し講道館柔道の型として制定されることになる。

昭和4年(1929)、新年度より沖縄県警察及び那覇市立商業高校にて正課となり、師範を務めた。また立命館、同志社、関西大学に空手部が創設され召喚される度に指導に当たった。

昭和5年(1930)、拳法八句のひとつ法剛柔呑吐より流派名を剛柔流と命名した。これは空手道史上初の流派名となる。

昭和12年(1937)5月、大日本武徳会に於いて演武し、全国初の空手術教士の称号を授かる。

昭和13年(1938)4月、沖縄県師範学校、空手師範の任に就く。

昭和20年(1945)、終戦によって沖縄民政府が創設され、警察学校教官として警察官の指導に当たる他、自宅道場にて門弟育成に尽力した。

昭和28年(1953)10月8日、惜しまれつつも逝去。
享年65歳

人に打たれず 人打たず 事なきを 基とするなり

宮城 長順

継承される剛柔流

「那覇手の大家」、東恩納寛量先生より剛柔流流祖、宮城長順先生、
そして宮城安一先生へ。

宮城安一先生は、第二次世界大戦後初の門下生として入門当初より師を敬い、流祖 宮城長順先生と寝食を伴にされ日夜常に師の側に在り、献身的に身の周りのお世話をしながら、夜は厳しい指導のもとで稽古に励み、師弟愛で結ばれる中で奥深い剛柔流の術理を伝授されました。その宮城安一先生の薫陶を受け「沖縄剛柔流」直系継承者として東恩納盛男先生は次世代を託され、流祖の遺志を忠実に守り、国内外の多くの門弟達に引き継がれております。

 宮城 安一 先生